この記事でわかること
- 幸福を追求することについて
- 幸福とは
何かを求めるという行為にはきりがない
人間であれば、誰しも何かしらの欲望を抱いていると思います。例えば以下のようなものがあげられます。
典型的な欲望の例 ・もっと野球が上手くなりたい ・もっと偉くなりたい ・もっといい人がいい ・もっといい車が欲しい ・もっといい家が欲しい ・もっと美味しいものが食べたい ・もっと休みたい
上記に挙げた具体例の場合、物質として手に入れたり、試合で優勝することで、求めていたものを達成したときに、明確に達成感を実感することができます。そしてまた新たな目標を設定し、前に進みます。
求めるという行為は、自らを向上させることに役立てることができる一方で、求める対象によっては、明確なゴールがないため落とし穴にはまり、抜け出せなくなるという危険性があります。
幸せを求めることは危険である
幸せを求めるということはどういうことでしょうか。
幸せを求め始めた時点で、現在は将来に対して相対的に「幸せではない」状態とみなすことができます。そのため、幸せを求めることは、無意識に現在に「満たされない何か」を作り出していることになります。
この「満たされない何か」は、対象が不明瞭であるため、いつ満たされるかわからない、という点が恐ろしいです。
そもそも幸せって何?
幸せというものは、明確な形がありません。人はその時の感情や状態によって、たとえ同じ行為であっても、幸せを感じる時と感じない時があります。
このことを考えると、幸せとはこういうものだという点や面で捉えられるのものではなく、心の状態そのものではと私は考えます。
「今」が大事
幸せとは、未来や目標地点にあるものではなく、現在に見出すものであると思います。
ゲームをしたり、映画を見たり、本を読んだり、筋トレしたり、誰かと過ごしたり、友人とご飯を食べたり、対象が何であれ、何かに従事すること自体が幸せの源であると考えています。
今行っていることの延長線上が未来であるので、今の幸せが未来の幸せに延長されるべきだと思います。
とはいっても最も幸せな人は、幸せであるとかないとか、そのようなことを考える余地もない人なのではないかと思います。
ポジティブが大事
なので、「私は不幸だ!私は不幸だ!」と毎日言っている人は、自分を変えない限り、一生不幸のままであるし、「今が最も幸せ(∩´∀`)∩」といつも思う人は、毎日が充実していることだと思います。
どちらがいいかというと、後者一択ですね。
私的な幸せに関する結論
- 幸せを求めることは、常に現在に「満たされない何か」を生む
- 幸せは求めるものではなく、現在に見出すもの
- 心の捉え方も大事